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続けたくなる分譲マンション

住み続けたくなる分譲マンションをランキング形式で紹介しています。これだと思った物件がありましたら要チェックです。

ときどき私はその息苦しさに耐えかねて、夫と子どもが寝たあとに一人で深夜映画を見にいったり、友だちを誘って近所で飲んだりしていた。 家の中で一人になりたいと思ったら、台所のアコーディオンカーテンをひいて床に座り込み、耳栓をして本を読むしかない。
六六平米で狭いといったらバチがあたるだろうが、すべての空間が共有で、物音が筒抜けの状態は、たとえ仲のよい家族でもつらいものがある。 もう一人増えたら、いったいどうなってしまうのだろう。
夫と二人で頭を抱えた。 「こないだ考えていたんだよ。
人生にコワイものがあるとしたら何かな、とね。 地震、雷、火事、リストラ、それよりコワイのは妊娠かもしれないと不謹慎なことを思った。
そしたらあたっちゃったなあ。 ごめん」いまさら夫に謝られてもしかたない。
「また地獄のような毎日に戻るわけね。 子どもが二人になると、忙しさは三倍から四倍だって」「うん……忙しさはさておき、問題はスペースだな。
しばらくはこのままいくとして、Sも大きくなったら自分の部屋がほしくなるだろうし、また引っ越しか」「あともうひと部屋あるとありがたいよねえ。 でもこれ以上広いところを望めば都落ちして郊外に行くしかないかしら」「広さをとったら、距離は犠牲にしなくちゃならないんだよ。

あああ、通勤一時間以内で二十畳くらいのリビングがある家に住むなんてのは、ぼくらにとっては夢なのかなあ」ところがその“夢”が、思いもかけず実現したのだ。 広さには満足。
でも何か欠けている…「お向かいの○○さん、七五平米のあの部屋を八千三百万円で売って、横浜のほうに一戸建てをお買いになったそうよ」「四階の××さんのところは、九五平米の部屋に億の価格がついたって」一九八六年ごろ、マンション内の知り合いの家にお茶に呼ばれると、もっぱらそんな話題で持ちきりだった。 最後に冗談めかして誰かがいいだす。
「ウチも売りに出そうかしら」「たとえ八千万円で売れたって、同じ価格でもうひと部屋プラスしようとしたら郊外に行くしかないもの。 ここくらい便利なところだったら、一億以上しちゃうわよ」ところがあれよあれよという間に私たちのマンション価格は高騰し、自分たちには一生縁がないと思っていた“億ション”に住むことになってしまった。
うれしさを通り越して不気味だった。 私たちは目を白黒して毎日のように投げ込まれる「マンション求む」のチラシを眺めていた。
不動産屋の訪問も頻繁になり、実際に売りに出される部屋もぽつぽつ出てきたものの、八五年から八六年にかけての狂乱の最高値のときに、実際に売って出ていったのはほんの数軒にすぎない。 むしろやや鎮静化してきた八八年から八九年にかけてのほうが売り出しは多かった。
たぶん当初感じた不気味さ故に、住民たちは価格だけを見て売りに出す気になれなかったのだと思う。 八七年末に第二子のMが生まれ、産休でヒマになった私は、不動産のチラシを丹念に読む余裕ができた。
切羽詰まって見ていたわけではなく、単にヒマだったから、「いいのがあったら見てこようかな」くらいの気持ちである。 だが近所の物件を散歩のついでにふらりと立ち寄って見たりしているうちに、しだいに“引っ越し意欲“がかきたてられてしまったのだから、われながら始末に負えない。

「お姉ちゃんまた家を探しているの?」チラシが転がっているのを、遊びにきた妹がめざとく見つけた。 「うん、まあね」「でも売っても買える物件がないわよ」「そうなのよね。
いくら高く売れたって、ここよりもよい条件のところだと価格が高すぎて手が出ない」言葉をにごしたのだが、妹はがぜんはりきった。 彼女はバブル直前に都心のマンションを購入し、それがみるみるうちに億ションにはねあがって、周囲から「不動産に関しては目利き」の評価を得ていた。
彼女は妥協せずに納得のいく住居を探すべきだという考え方の持ち主で、それこそ徹底的に調べているから、そこらへんの不動産屋よりも情報を持っていたりする。 そしてすでに自分の場所を確保したあとも、自宅探しのときに独自に築いた情報網で収集に余念がなかった。
根っから家に関心があるし、家選びのセンスもある。 だから姉がまたもや引っ越したい病にかかっているとわかると、とたんに目を輝かせた。
「お姉ちゃん、いい物件があるのよ」というその口調は、「オニーサン、いい子いるよ」という客引きにどこか似ていた。 「お姉ちゃんのところにぴったりな物件」「どういう意味で?」「まず、広いわりに値段がそこそこ。
川崎なんだけれど、東海道線を使えば東京駅まで二十分だからお姉ちゃんの会社まで一時間以内で通勤できる。 大規模開発で敷地が広くてゆったり建てられていて、車が進入禁止になっているから子どもを安心して遊ばせられるわよ。
パンフレットを持ってきてあげるから見て」妹が持ってきたパンフレットをじっくり眺めた私は、生後一ヵ月のMをスナグリに入れて、翌日さっそく見にいった。 川崎市内の駅からバスに乗って二十分弱。
一万平米以上の敷地に、十五階建てのマンションが五棟。 広々とした公園も隣接している。

すでに三棟が建ち上がって人が住んでおり、二棟が建設中だ。 隣にモデルルームがあるというので見学した。
いま暮らしているマンションより、内装はずいぶん贅沢で上品だ。 一つひとつの部屋がゆったりと広く、モデルルームには夫が“夢”といっていた二十畳のリビングがあるではないか。
洗面所には洗面台が2ボール。 朝シャンができるシャワーまでついている。
追い焚きができるお風呂にも、人工大理石の調理台があるキッチンにも、寝室に隣接したウォークインクローゼットにも、うっとりした。 そうか。
いま私たちが住んでいるマンションは、中の下クラスなんだ。 これは中の上クラス。
高級とまではいかないが、プラスアルファ、ランクアップしたマンションではないか!一二七平米で八千万円という価格は、たしかにバブル前ならばとても私たちには手が届かなかっただろうが、いまのマンションの査定が七千万円と出ているおかげで考慮の余地が出てきた。 帰宅した夫にパンフレットを見せて、勢い込んで報告した。
「ねえねえ、あなたが夢といっていた二十畳リビングがあったんだから!」夫も目を輝かせてパンフレットを眺めていたが、ふと顔を上げていった。 「でもなあ、東京都民じゃなくなるのはさびしいな」夫はなんのかんのいっても生まれ育った東京が好きで、東京都民であることを誇りにしている。
だが広い住居の前には、そんな誇りは捨ててもらわなくては。 その週末、一家で川崎まで出かけてモデルルームをもう一度見学し、その場で申し込んだ。

ところがさすがに人気物件だけあって、私たちが申し込んだ部屋は百倍近い倍率で、あっけなくはずれてしまった。 「やっぱり二十畳リビングは夢だったんだよ」夫と肩を落とした。
ところが、である。 一週間後に電話がかかってきた。
「申し込まれた部屋は残念ながらふさがってしまいましたが、その上階にある九千万円の部屋があいています。 いかがですか」きゅ、きゅ−せんまん!!夫に電話して伝えたら、当然ながら「そんなカネないよ」と一蹴。
そうだよね。 いくらなんでも九千万円なんて、どこふっても出てこないよね。
がっかりして電話を切ったところに、母から電話がかかってきた。

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